2019-03-20 第198回国会 参議院 財政金融委員会 第5号
一方、宮内庁の方は、天皇陛下が国民生活の救済と産業振興及び賠償負担への充当のために皇室財産の大半を政府に下賜することを望むとの宮内大臣からマッカーサー将軍に宛てた承認を求める書簡も出されたわけでありますが、これは無回答の上、却下になっているということであります。
一方、宮内庁の方は、天皇陛下が国民生活の救済と産業振興及び賠償負担への充当のために皇室財産の大半を政府に下賜することを望むとの宮内大臣からマッカーサー将軍に宛てた承認を求める書簡も出されたわけでありますが、これは無回答の上、却下になっているということであります。
あともう一つ、ホイットニーがつけ加えたことは、その二行目、「マッカーサー将軍は、これが、数多くの人によって反動的と考えられている保守派が権力に留まる最後の手段であると考えています。」つまり、この憲法草案でかなり戦前体制と決別した改革案を思い切って提示しないことには現在の保守陣営の政治家は生き残れないであろう、このようにホイットニーは日本側の要人たちに主張したわけであります。
なお、先ほどゴードン女史からお話がありましたが、一番最初に民政局に呼ばれて憲法草案の作業を命ぜられたときがこのことだと思いますが、一九四六年二月四日、ラウエル中佐、たしか司法担当の委員長だったでしょうか、GHQ草案を日本がのまない場合、力を用いて、脅すだけでなく力を行使してもよいという権能をマッカーサー将軍から与えられていたということを記録に残しておりますが、そのことは承知していたか否か。
○小山孝雄君 簡単に言いますと、憲法草案の作業中に、これはラウエルさんが文書に残して、ラウエル文書ということで残っておりますけれども、たしかゴードン女史は何かにそのことを語ったことを記憶しておりますが、日本側が皆さんの草案をのまなければ力を用いてもいいよということをマッカーサー将軍から与えられていたということをホイットニー将軍が語っていたということをラウエル中佐が文書に残していますね。
この必要性は私が大統領当選者としてまだニューヨークに滞在していた間に、マッカーサー将軍から示唆された」、こういうふうに記されています。それから岩波新書の中にも、一九五四年フランスがディエンビエンフーでべトミンの猛攻にさらされていたときに、この戦争の戦費の七五%を賄うほど深く関係していたアメリカは、核兵器の使用を提案した、と。
これはトルーマンのマッカーサー将軍解任に比すべき、スケールの大小は問わず、ケースとして非常に重大な出来事であったと思うんです。それで、これはシビリアンコントロールのあり方を論ずる場合、考える場合にも避けて通れない大きなテーマであったと、出来事であったと私は思うんです。
元ニューヨーク・タイムズの記者タッド・シュルツ氏の論文についてみますと、児玉は一九四八年の末に戦犯として釈放されて間もない時期に米情報機関——マッカーサー将軍の軍事情報部と接触をした。そしてワシントンの情報筋によると、四九年と五〇年に東京にCIA事務所が設けられて、接触が引き継がれたとされております。
それからマッカーサー記念館におきましては、マッカーサー将軍の第二次大戦中の関係記録、GHQ時代の英文資料書簡類等のみでございまして、わがほうが返還を求めておる公文書とか図書等は一切なかったと。 以上申し上げましたような結果を得たわけでございます。
だから、そういう意味合いにおいて、マッカーサー将軍のアメリカ議会に対するメッセージを判読するならば、慈善は、これは贈与ではないと書いてあるが、慈善は債権であるとは書いてない。そうしてこれは当分やらなければならないところの戦勝者の義務である。それを裏づけるものはヘーグの戦争条約である。かくのごとく一連の判断を加うるならば、これは債務じゃないのだと思うが、いかがでありますか。
伺うところによると、日本のIBMとアメリカのIBMのタイアップでそれが行われているようですが、これにはアメリカの方では、かつて日本におったマッカーサー将軍が社長であったレミントンという会社、これとスペリーランドという会社が最近合同して、巨大な資本を擁するに至って、そしてユニバックという新しい電子計算機の機械を輸出しようとしておって、これはちょうど防衛のF何機ですか、あれの理屈と同じように、アメリカの
すなわち最高機関の国会がそれに対して統制権なり質問権なり監査権などを持ってやるということに、今の憲法は、あなた方のとうとびになるマッカーサー将軍のイニシアチブをとった憲法はかようになっておるので、それを私がここで変えるなんということは、これは容易に言うべきことではございません。現状のままはその通りであります。
○清瀬国務大臣 マッカーサー将軍は、立場は違いますが一世の将軍であります。それゆえに「マッカーサー」という言葉には何も軽べつの意味はないのであります。マッカーサーが、わが国を連合軍司令官として治めておられた時代にできたのをマッカーサー憲法というのは、明治時代の憲法を明治憲法というのとちっとも違わないのです。
こういうことで、マッカーサー将軍を私は目のかたきにするのじゃございません。また米人が必ずしも日本に悪意を持ってこの教育制度を作ったとばかりは思っておりません。今日の自発的、啓発的教育はいいんです。ただ悲しいかな、人間は立場が違えば違うんで、日本人の理想を彼は了解し得ません。そうすれば、その理想に適合する行動の基準、すなわち道徳律もおのずから変ってくるんです。
又指摘することにおいて我々は十分の注意を払つた結果と思いますが、又やつてみたのちの結果をだんだん調べて、進駐軍もこれは行き過ぎだということを考えて、その行き過ぎた地方制度を是正しようという話がつきつつあつたときに、マッカーサー将軍が、司令官が更迭になり、そうして後任者においては事情を十分知らないということもあつたでありましよう。
しかしながらマッカーサー将軍は、日本の再軍備については、反対の意思を私にしばしば言つておられる人でありますから、切りかえることができるかできないか、その辺の証言は知りませんが、日本の警察予備隊がただちに軍隊になるという、あるいはするというような気持は、私の承知しておるところでは元帥の意思ではなかろうと思うのであります。これは私の想像であります。
今では、例えばマッカーサー将軍のときでも、直接中共と取引しておらん。電報を打つこともできない。それはどうしても第三国の政府の手を経てやるより仕がない。ソ連政府の手を経てやればなお便利じやないかと思います。
(拍手)元帥は、日露戰争中、父君マッカーサー将軍とともに日本訪問以来、わが国に対し非常の関心を寄せられ、元帥のわが国情に対する造詣、蘊蓄が、日本国家の礎石はわが皇室にあることを洞察せられ、わが皇室に対し非常の注意と用意をいたされたることは、元帥の対日識見のたまものであることは明白なことであります。
私はここで日の丸梯団を代表して強調したいことは、我々が生涯を通じて永久に忘れ得ぬ感激、それはナホトカにおける高砂丸乗船以来、我々に対して示された船長はじめ復員関係当局の肉身にも優る温い愛情と、我々日の丸梯団が桟橋に上陸したとき、あの雨の中にびつしより濡れながら我々を心からなる誠実と温い愛とを以て迎えてくれたダグラス・マッカーサー将軍代理の出迎え、参衆両院代表その他各府劍代表の出仰えであつたのであります